転石苔むさず・・転がり続けよう!

いちサラリーマンの頑張る日常。13年勤めた会社をある志しを持って転職したらヒドい会社に。そして今3社目で頑張ってます。音楽(大人なオススメの洋楽)、書評(主にIT、ビジネスに役立つ本、オススメの本)、家づくり(自然素材の実例満載)、も時々書いてます・・

妻のウデにカタいものが。。何これ?

ちょっとあの時(癌がみつかったときの感触)に似ている。

まさか。。取りあえず医者に見てもらうことにしたのだが。。

もう不安で不安で、苦しい。励まさなくてはいけないのに、涙が止まらない。
ちょっとでもその事に触れるとまた涙。。情けない。。

正直、私は今まで絶対治る、治らないはずがないと思い込んでいた。意図的だったのだが、いつしか確信に変わっているようで、それが支えだった。でももし転移ということだったら。。支えがなくなるようで怖いのだ。

今思うと、だから妻と細心なことについて共有できなかったのかも知れない。でも今は。。
ゴメン。何か色々ゴメン。それしか言葉に言えない。もっと気の利いたこと言えないのかよ。。これ書きながら涙が。。

妻からも「パパが信じてなくてどうするの!」と逆に励まされる。

そうだよな、まだ決まったわけではない。絶対大丈夫だ! 
取り越し苦労になるさ。

「何ともなくて感謝してます。有難う」

予め言っておきます。

放射線治療開始。毎日。。大変だけど頑張って欲しい。

今のところ痛みなどはないようだ。ちょっと安心。

胸のところに放射線を当てるための印が、マジックで書かれている。これが結構四方八方に大きく。。何なんだよ、、もっと違う方法できないのかね。全く人権というもを考えていない。バラエティ番組のいたずらじゃねーんだぞ。腹立つ。胸元がちょっとでも空いた洋服だとマジックが見えてしまうから面倒だ。

まぁそれはともかく、これで本当に癌細胞ちゃんは居なくなってね。
本当に本当にお願い。
子供を預けて、妻と表参道へデート。久しぶり。

何かとても新鮮で。ものすごく楽しかった。

変な心配させてゴメン。大丈夫、ずっと一緒。ずっと守るから。。

不思議と今までの日常での不平不満からくる感情も全くなく過ごせた。

何かずっと一緒に居れることに疑いを持てない。たかが癌だから。

すごく愛おしい。また行こうね。
夜中、子供達も寝て真っ暗な妻の寝室(病気になってからは1人で寝ている)から、私を呼ぶか細い声。行ってみると「ちょっと話をしない?」と。

横に寝ころんで、、やや不安な気持ちを抑えて黙ってた。沈黙。

ここのところ元気のなかった妻が、重い口をひらいたと思ったら、しくしくと涙を流しながら話し始めた。

「病理診断の結果に落ち込んでるの。」「何でこんな目にあわないといけないの・・。」

私には何にも言えない。何を言っても彼女の中の大きなものに訴えることはできない。これはもう病気になってからの経験。じっと聞いてあげることしかできないのです。辛い。。

術前のCT,MRI検査で、癌の形跡はかなり消えていたので、どうやら摘出部位からは細胞は見つからないと期待していたみたい。そして、それは 生存りつ に関係してくるのだという。見つからないのとはすごく差があるんだと。

彼女にも分っている。そんなこと気にしても仕方ないことを。前向きになることが身体にとっていいことだと。「分っているんだけど・・・」という言葉が痛い。

手術が終わって多少安心していた私にとって、カウンターパンチをくらったような衝撃。そうだよね、ゴメン。気持ちがしずんだ。。

根治したときの笑顔が早く見たい。5年後か、、10年後か。。。


しばらく経った日の朝、「気持ちを掃き出せたことで元気になってきたよ」と。
ちょっと救われた気持ち。嬉しかった。

午前半休して、摘出部位の検査結果を聞きに病院へ。子供は夏休みなので、一家全員。

ちょっと不安はあったけど、概ね予想通りでほっとひといき。
結果は、術前の診断が合っていたことを裏付けるものだった。
摘出部には微小ながん細胞がちょっと残っていたが、抗癌剤は良く効いていたと。
リンパからも1つだけ。

おそらく身体にがん細胞が残っている可能性は低め。が、断定は当然できない。
我々だっていつ顕在化するがん細胞が眠っているとも限らない、、と同じことだと先生はおっしゃってた。あとは予定通り放射線治療。放射線は局所的に効くものということで胸部に残っている可能性を潰す目的もあるけど、局所的ということからは関係は本来はないのだが統計的に放射線をあてた方が遠隔転移しない確立は高いので、そちらの目的も。その後は1年毎に精密検査。3ヶ月毎に診察。

再発したら、じたばたしても仕方ないと。1年毎の精密検査の感覚を短くして、ちょっとでも早期に発見できたところで、確実な詳細が分るわけではないので、それに対して出来ることは余りないということ。であれば、普段は気にせずに生きた方が良く、考えすぎるのも毒になってしまう。

ということで、妻も気になるのは分るが、前向きに前向きに考えて欲しい。周りに元気を与えるくらいに(キャラ的に無理かな)。よく頑張ったんだから、さぁ楽しもうぜ。

子供も不安だろうに、2人(姉弟)だけで待ち合い室で待っててくれた。
ありがとな。ぎゅっと抱きしめ、キスした。
腕が相当痛いらしく、気付くと「痛い痛い」と呟いてる。何とか車は運転できるまでになったので、通院、買い物には良かった。

体液も溜まる量が少なくなってきているけど、2、3日に一回抜きに通院。溜まると胸の横がふくれるようで、肘を腰に付けられなくなる(気をつけ!の姿勢ができないとでも言おうか)と言ってます。。

どうにもできないんだけど。。早く良くなぁれ!! とただ願う。

そして、発芽(毛)してきました!これまたかわいいんだ。と同時に抗癌剤の効き目と切れ目というのがはっきり分り改めてスゴい薬だなと思った次第です。暑くなるとカツラも蒸れるんだろうな。外した時は気持ち良さそうだけど。 
忌野清志郎さんが、がん転移を告白した。

聞いた瞬間、深い悲しみが身を覆った。「なんでだよっ」
妻のことで、転移がどんな状況かというのは、ある程度分るんだ。そう楽観視は
できないという・・。こんなこと書くのも辛い。胸が痛い。

そんな私を励ましてくれた。ご本人のメッセージだ。

清志郎さんの直筆メッセージ

逆に励まされてどうすんだ? そうだよね、凹んでいる場合じゃない。
こんな時にも前向きな清志郎さん、チンケな言葉で悪いけど

「最高にカッコいい!」

「愛し合ってるか〜い?」という彼の声が心の中でこだまする。「もちろんさ、ベイビ〜」
必ず復活すると信じてる。もうそれだけ。勇気をくれて有難う。多くの人がそう感じていると思う。俺もそれに共感してる。iPodでRC&清志郎さんソロの音楽を聞きながら回復をひたすら願った。


どうしても妻のこととオーバーラップしてしまうから余計だ。
妻がもし転移したら。。想像つかない。そんなこと考えないようにしてた。何か可能性としてあることを、、現実に引き戻された感じだ。

それでも日々は過ぎて行く・・・
万事予定通り。無事退院しました。

術後の傷跡から体液が出るので管を入れて貯めていたのだが、出る量が減り管を抜いて、退院となりました。退院後は、その体液を抜くのに暫く通院。まぁそんくらいは仕方ない。その後放射線(根こそぎ摘出したけど、万が一がん細胞が残っていた時の為に放射線をあてる)を1ヶ月くらい。それが終わったら、祈るのみ「再発/転移がありませんように」半年ごとに検診は緊張するだろう。。

家に帰った妻は、やはり腕が痛いらしく暫くは100%動けなさそう。ここはスーパーやっつけ&効率主夫の出番です。変身!! 

転職したばかりなのに、必要に応じて休めているのは本当に有り難い。転職するに際してそれはすごく気になっていたので。。入院中にサポートくれた両母。さぞ疲れたことでしょう。ストレスも溜まったことでしょう。有難う。

皆様のお陰です、感謝してます。

#しかし最近は、本当に入院日数を減らしてるんだな。。お役所の操作に振り
#回される(保険点数計算)業界って大変だ。

無くなってしまいました、おっぱい。でも意外と妻も私も冷静。分っていたことだし。それよりは"命"です。"命">"おっぱい"です。命あっての・・。妻は「イヤな目に合った時(内科検診とか)に何か思うことがあるかも知れないけど、今は別に」という感じ。それよりはリンパをとったことによる腕の痛みが気になっている。早く良くなって欲しい、、(祈)。

子供も傷跡を見た。ちょっと心配だったんだけど、こちらも意外と冷静。さすが。「バイキンをとったんだよ」という言葉にうなずいてジッと見ている。何かは感じているんだろうけど。。時々 心配している風が、また泣かせます。家族だなぁ。教育にはいい経験かも。ハンディキャップを背負っている人に対する教育。こんなに身近に居たら、笑えないでしょ。人ごとじゃないし。

そして私は、実は取りだした標本も見た。手術中呼ばれて

「手術は今のところうまくいっています。摘出も完了したのですが、見ますか?」

「どっ、どうしようかな。。はい、見ます」

やはり見ておくべきだという気持ちに従い見ました。妻の物でした。根こそぎえぐった感のあるボリュームでした。奇麗な色でした。これで大丈夫だ。癌ちゃん、バイバイ。妙に落ち着き払い、同様もなく、あるがままを受け入れられたという感じだ。脳裏からは死ぬまで離れないだろうけど。。悪い気分ではない。

おっぱいが無くなった妻をぎゅっとしようとしたら 「痛いよっ」と傷をかばって、言われた。「おーごめんごめん」。そりゃそうだ。

妻は元気に入院生活を続けている。術後の経過も良好。

病院の食事がまずい だの 行き詰まるだのブツブツ。

「贅沢言うなよ。よほど俺の入院の時よりぐーたらじゃん」

いつもの軽口も。それだけ妻も回復している。
(私の入院の時は、痛くて夜は寝れないし、リハビリは1日中あるし、4人部屋で隣のオッサンはうるさいし)。

胸から管が2本出て、体液(?)を貯めるパックを首からぶら下げている姿も慣れるもんだ。
精神的な疲れもあるんだろうけど、もう分っていたことなので、どちらかというと将来に目
が向いているような感じ。手術前も告知の時よりも、トりプルネガティブを知った時の方が落胆したと語っている。

またおっぱいが無くなったことのショックは受けているのは理解しています (女優さんとかモデルさんとかスタイルが自慢の女性だったら、そのショックの大きさはスゴいだろうな)。でも私はそんなことより生きてて欲しい。妻も生きる為ならと考えている。大丈夫だ。

子供との再会での笑顔は、見ていても嬉しかった。子供達も嬉しそう。さっそく甘えている。改めて出産後のことだったことに感謝している。

このひと月くらいの間に、

親友(難病:後縦靭帯化症。半々の割合で上半身麻痺の難しい手術)
父(脊柱管狭窄症。難しい手術で6時間!)

と手術&入院があり、そして妻。

どれも成功し、術後も良好。まっ、運が良いのか悪いのか。最初からならなきゃいいのだけど。
でも感謝感謝。歳とともに、こういったことが多くなるのね。

あー、これが仕上げの手術(もう暫く身近な方々では心配したくない)になってくれ。

話は変わって、私の伯母も乳癌。でも早期発見で、全摘ではなく温存。ホルモン治療も効果があったため、それで治ってしまっている。ということで、妻にも色々とアドバイスして頂きありがとう。 義母にも安心するよう電話で伝えてくれて(義母は泣いてた、やはり娘のことだからやるせないのだろう)、ありがとう。俺は恵まれている。
無事、手術が終わりました。予定どおり。
病室に帰ってきて、一言二言話したくらいで、あとはずっと眠っていました。麻酔が効いているのと、体力や精神的にも疲れていたのでしょう。

本当に良く頑張りました。
眠っている妻の顔をじっとみていると、強さと優しさを感じました。
髪の毛も眉毛もまつ毛もない妻の顔を見ていると、愛おしくなりました。

とにかくホッとした。告知されてから7ヶ月。ひとつのフェーズに区切りがつき、次の段階へ進みます。

親類、友人へひととおり連絡をした。ある友人からメールが入っていた。

「きっと何年かしたら、あんな事もあったね、って言えるようになるね!」

うん、ありがとう。
子供達には、近所の人たちには言わないよう口止めをしている。おばあちゃんが来ているため、普段と変わらない様子。

だが、

下の息子がぽろっと 「ママ早く帰ってこないかな」と。

上の娘が、「ママ心配」と言って毛布に顔を埋めた。

私:「ママ可哀想だね。頑張るから応援してね。帰ってきたらお祝いしようね」

自分で言ってて、子供とウルウル。急に実感。
けなげな子供達を思ってまたウルウル。涙を見せてはいけないとこらえたけど。
しっかりしよう。へこたれない。

後日妻に伝えたら、伝える前から俺の顔みて妻もウルウル。
家族ってこんなもんだな。。素直に嬉しい。

皆で頑張っているんだから、きっと大丈夫。
いよいよ入院です。暫くは妻の居ない生活。幸いにもスープの冷めない距離にいる両母親が順番に来てくれるので、会社を休むのは数日で済みそう。有り難い事だ。

さて、こちらも幸いで、今年できた新しい病棟に入院で、部屋もピカピカ。病院は、カフェやコンビニ、食堂も洒落てて(展望)、図書室もあるし、不自由はしなそう。その点は安心。

途中、主治医が転勤になったため、執刀してくれる先生とは私は初対面だ。面談室に呼ばれ、妻と2人で話を聞きに行った。歳は同じくらいだろうか。言葉遣いに違和感を感じるものの、まぁ先生なんて皆こんなもんで、生理的にイヤな感じはしないのでOK。そして丁寧に経過、手術の内容、術後のことなどを説明下さり、我々の質問にも納得いくまで回答頂けた。同意書にサイン。

手術は簡単なものらしく、3時間程度。
MRIやCTの経過を見るに、素人の私でもしこりは無くなっているほどに良くなっていた。抗癌剤がこれだけ効いているということは、転移のリスクに大しても大幅に軽減とみて良いらしく、とても励みになった。

不安は隠せない妻だが、比較的落ち着いており、これなら大丈夫だ!!
素晴らしい。本当に強くなった。頑張ってる。受け入れている(受け入れざるを得ない)証拠。科学的根拠はないのだろうが、こういう心持ちも病気には良い影響を与えているに違いない。病は気からだ。

ぎゅ〜っと抱きしめ、病室を後にした。
帰宅寸前、何かを急いだように妻から電話。あと数分で着くところだったので、帰ってから話を聞くと、、

「来週手術だって」

えっ?早くても再来週だって言ってたじゃん!全く。。まぁ予め手術日は不確定とは聞いていたが。。

でも早くやってくれるのは、有り難いかも。延び延びで心配するよりよほど良い。ということで、手術日が決まりました。予定通りのことなので、特に混乱も無いが、入院の準備をする妻にとっては忙しい。。色々計画していたようで、「xxxができない」とぼやいてます。

さてと、親類、友人にはいろいろお世話してもらい、乗り切ろう。

頑張り屋の妻のことだから、問題なし!!

でも不安なんだろうな、可哀想・・・。良い経験だったと思えるようサポートです!
全8回の化学療法が終わった。

良く頑張った!

とても辛そうだったけど、毛という毛がすべて抜けたけど、本当に良く耐えたよ。副作用がキツくて止めてしまう人がいるというのも分る。妻は耐えた。そして効果も出た。もう嬉しい限り。褒めてあげたい。感動した。ぎゅ〜したい。

きっと再発はしないだろう。するわけがない。想像できないし。
あとは手術&放射線治療だ。頑張ろう。
抗癌剤の種類が変わった(予定通り)。投薬時間は長く4,5時間。大変だ〜。前職の退社時に頂いたiPod shuffleが役に立ってるかな。

ただ、副作用が前回のより軽いらしく良かった。私がみていてもかなり違う。投薬の次の次の日は立上がって7割程度まで回復してる(?)かな。本人にとっても嬉しいのは当然のこと、私も助かります。3週間毎の投薬だけど、調子悪い日が少ない分 次の投薬までの期間が、大分長く感じるらしい。

さて、前までの抗癌剤が効いているかどうかの検査があり、かなりしこりは小さくなった。よく効いているとのことだ!!!やった! 妻は安心はしているが、満足はしていないようだ。。次の抗癌剤も効いてくれよ!頼むぞ。 抗癌剤は投与許容量があり、再発時の治療も限られてくるので、今の効果は重要!頑張れよ!!!

妻の髪の毛は相変わらず坊主だが、カツラにも慣れ、また私もカツラ無し状態も見慣れ、何げに落ち着いた生活だ。あ〜このままずっと平穏でいたいな。
抗癌剤の影響で、指先が若干黒ずみ、皮膚も割れてしまった。可哀想に。。
でも明らかにしこりが小さくなってきている!この調子だ。

休日の水仕事は俺がやるぞ。
妻の脱毛後の頭、見ちゃった。何となく見てはいけないのかなという思い(イメージが残っちゃいそう)と本人も見られなくないだろうという思い から今まで見ていなかった。家の中でも当然帽子かぶってるし。

意外とかわいい。愛おしい。

これ本音。辛いだろうなと思っているのだが、素直に伝えたら笑ってた。ちょっとほっとした。嬉しいのが子供の反応。子供達は妻と一緒に風呂に入る時に見ているようだ。はじめのうちどうしても笑ってしまうらしく、口に手を当てすごく恐縮してもじもじしながら「どうしても笑っちゃうの」と。その恥じらいに似た仕草が何ともかわいいのだ。可愛い過ぎ! 妻もこれには微笑むしか無かったのだ。和むわ〜。有難う、娘!
また言われた 「何をもってそんなに大丈夫って言うの?」と。
そりゃ昼間ひたすら癌についての情報を収集している本人とは、情報量が圧倒的に違うさ。しかし凹む。。何も言えない。下手すらギャク切れ 「じゃあ何て言えばいいんだよ・・」

しかも当然のことながら、希望の持てる情報なんて無い。本人は何とか希望を大きくと思い良い情報を探しているのだが。。生存率だってそりゃステージ1や悪性度が高く無い人に比べれば低い。

そんな情報を一所懸命得て落ち込むくらいだったら、知らずに治る事を信じてた方が良いと思うのだが、それは私には100%なりきれないつらさがある。言葉が軽くなってしまう。仮に情報を沢山得たところで、希望の持てる情報は恐らく無く、その上で「大丈夫!」と励ましても何かしら言われるのだろう。

がん患者の家族だって人間なんだ。。やるせなさからストレスが溜まる。。もっと前向きになって欲しいのに。もっと優しく支えたいのに。。なんでこうなるんだろう。辛いわ。

俺「ごめんね・・」
妻「いいよ・・」暗い声。。

はぁ、、彼女の心に響く言葉が見つからないものか。。